2012年03月29日
探り 探す
表と裏
左と右
上と下
白と黒
生きるよりどころして比較対象により、世間と交わる術。
昨日の支援学校の先生の意見とその前の日の権威ともとれるところの意見。
まったく違う。
ようであって、人が今を生きる術を探る所では重なる。
気候、季節の移り変わりは、惑星の上にある生命に変わらずに与えられてきた。
地球人としてある人にも。
そんなことから、生きていることを考えると、比較の対象の間が観えてくる。
最大公約数では語れないこと
最小公約数では語れないこと
ネームバリューや功績だけでは感じられないこと
独自の感覚だけでは掴みえないこと
双方があって、和がなる。
そんなことを昨日、一昨日を通しておもう。
しかしながら、
しかしながら、
能力、成果、効率 を上げることが異常に思えることは
おかしなことか。
そのことが充満していると感じることは錯覚か。
微力だから無力ではなく
形ないから無ではなく
容易に 生きることを口にできないが
しなければならないときとどうしようもなく思う。
今、在るのだから。
左と右
上と下
白と黒
生きるよりどころして比較対象により、世間と交わる術。
昨日の支援学校の先生の意見とその前の日の権威ともとれるところの意見。
まったく違う。
ようであって、人が今を生きる術を探る所では重なる。
気候、季節の移り変わりは、惑星の上にある生命に変わらずに与えられてきた。
地球人としてある人にも。
そんなことから、生きていることを考えると、比較の対象の間が観えてくる。
最大公約数では語れないこと
最小公約数では語れないこと
ネームバリューや功績だけでは感じられないこと
独自の感覚だけでは掴みえないこと
双方があって、和がなる。
そんなことを昨日、一昨日を通しておもう。
しかしながら、
しかしながら、
能力、成果、効率 を上げることが異常に思えることは
おかしなことか。
そのことが充満していると感じることは錯覚か。
微力だから無力ではなく
形ないから無ではなく
容易に 生きることを口にできないが
しなければならないときとどうしようもなく思う。
今、在るのだから。
2012年03月05日
「バスを停めた車掌さん」

久しぶりの友井さんのお墓参りの帰り道、
日向市のながのやさんによりました。
そこのトイレを使わせていただいた際、
壁に3枚の‘トイレの勉強会’と書かれた紙が目につきました。
用を済ませ、読む中で、1枚の紙に言葉を失いました。
タイトルは、「バスを停めた車掌さん」。
【昭和22年、長崎県時津町の急勾配の坂道を走行していた、長崎自動車株式会社の木炭バスが、エンジンストップになり、ブレーキも利かなくなった状態に陥り、なすすべを失い崖に転落寸前に。
制御不能となったバスから一人車外に飛び降り、自ら車止めして身を投げ、転落寸前のところで乗員、乗客30名の命を救って殉職された車掌さんのお話しでした。】
なんだか読み終えて、6年前の亡くなる2週間前に、長崎の稲佐山のさだまさしのコンサートに、決死の覚悟で行かれた友井さんとの繋がりを感じずにはいられませんでした。
言葉がでません。見つかりません。
帰宅して、調べましたら、詳しいページありました。<伝えたいふるさとの100話>→
http://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/1_all/jirei/100furusato/html/furusato090.htm
2012年01月03日
2011年12月16日
及ばない力
小さな
変化は
いつでも
小さな
変化は
気がつけば
何気なく
小さい
わずかな
微笑みも
あくびも
彩りも
ほおずえも
わずかに
わずかに
連なって
織り成し合って
おっきな
躍動へと
いつの間にか
変わってく
確実に
じーっと
待って
染み込んでく
時の魔法によって
変化は
いつでも
小さな
変化は
気がつけば
何気なく
小さい
わずかな
微笑みも
あくびも
彩りも
ほおずえも
わずかに
わずかに
連なって
織り成し合って
おっきな
躍動へと
いつの間にか
変わってく
確実に
じーっと
待って
染み込んでく
時の魔法によって
2011年12月13日
迷い、悩み できる こころ
この地上
この所
立つ場所
たどる
路
生きている
証
ひたすらに
ひたすらに
巡り
流れ
この ひと時
戻らぬ 時
呼吸がぎこちなく
なり
ただ
ただ
ひたすらに
ひたすらに
巡り
流れ ・・・・・
在る
この所
立つ場所
たどる
路
生きている
証
ひたすらに
ひたすらに
巡り
流れ
この ひと時
戻らぬ 時
呼吸がぎこちなく
なり
ただ
ただ
ひたすらに
ひたすらに
巡り
流れ ・・・・・
在る
2011年12月06日
しずかに しずかに ただしずかに

対峙する自分
見つめる自分
時の経過
血のめぐり
呼吸の瞬き
言葉のひだ
感情の根(音)
幾度、よびおこされるとも
覚醒の快感は変わりなく
水脈にたどりつく
されど
眺め
手を止め
待つ
観て おく
そのまま
ひたすらに
一切の考えを
停止して
静かなる酸素の巡りが繰り返される
静かに
しずかに しずかに ・・・・
・・・・・
・・・・・
2010年09月13日
秋 もどる

早いもので9月になりました。
あと10日でお彼岸。
庭の秋の七草の一つの桔梗(ききょう)が大きく伸びて咲いています。
花言葉・・「変わらぬ愛」「気品」「誠実」「従順」
ここ数週間
ぐるぐるとあーでもない こーでもない
と考える日々がつづきました。
決断って 口にするほど容易じゃないってことを思いながら。
ふっと力が抜けて昨日と今日の朝歩きました。
朝日を久しぶりに浴びて、秋風を全身で受けて身を洗われるようでした。
小学生の低学年の頃、理科の宿題で朝日を観てその様子や感想を述べさせられるものがありましたが、その時に、父にその宿題のことを話していたら、次の日の朝、起きられない私を起こしてくれて朝日を観せてくれたことを歩きながら、思い出しました。
当時の父は市場に行くために家族の誰よりも早くに起きていました。そんなことも思い出しながら。

秋の訪れを感じさせるような雲の広がりがあります。
雲のように風に身を任せて、流れたり、形をかえたり。
そんなふうに心の自由さを持ちですね。
そんなふうになりたい。
2010年08月12日
7日の地上
久しぶりになりました。
早くも立秋をすぎ8月も中旬になりました。
先日、8日に父が眠るお寺にお説教を聴きにまいりました。
小学二年生の女の子が癌で母親を亡くした直後、
分身のように現れたすずめを通して、生きることに希望をもった話しなどを通して、
命のありがたさを説かれるものでした。
信心(まことの心)のさだまるとき
往生(生まれ行く)また定まる
人の生まれる確立は70兆分の1.
数限りない方の命のバトンにがつながって私がある。
【摂取不捨】 (せっしゅ‐ふしゃ)
仏様が仏様の心身から発する慈悲や智慧の光中に、人の祈りの心を救いとって捨てないこと。
だから、受け継いだ命の尊さを思いどんなときでもお念仏を唱えなさい。
煩悩に惑わされ、混迷した日常を送る中、根本的な命のありがたさ、今在ることの大事さを思い起こさせていただけた貴重な時間でした。
お寺から帰り、近くの公園で鳴くせみの声が力強く、生き生きとしたもののように聞こえ、短い地上での時間を懸命に生きようとする姿をしばらく眺めていました。
2010年07月12日
ストーン

文月
7月12日
旧暦 6月1日
ぐずついた天気が続きます。
昨日の政治への判決は、身近なことと、国の運営がかけ離れることを危惧することの表れであった、との総括が大勢です。
しかし、どの政党にしても政治の駆け引きに私達の生活が利用されているようで・・・。
人任せにしない気持ちを、おかしいことに声を上げる姿勢を持つことの大事さをおもいました。
4月以降、どうも心身のバランスが取れずにいることが続きます。
春先からの異常な気候の影響で特に今年は、そうなる人が少なくない、と聞きました。
土曜日に夏風邪を引いたようにあり、とにかく身体に溜まったものを出さなければ、とのおもいから足もみに行こうとしました。
目当ての足もみさんは先客があり、どうしようかとおもいながら、同じ建物内にある隣のお店を覗いたら、「クリスタルヒーリング」。
自然に中に入ってみたくなり、そのまま店内に。
石をつかった、今の自分を確認するもの。
目を閉じ、深い呼吸を行う内に身体の中に溜まったものが抜けていくような感じに。
目を開けると、私の今の状態に応じた石が並べられていました。
その一つ一つの意味を聞きながら深く納得行くことが。
大きな転換期を迎えている。
それは、ゆっくりと行われる。
まずは、自然に沢山触れて、自然の中の力を沢山もらう。
自分を認め、発想を楽しい方向に転換する。
写真は、何種類かあった中の石の中、求めて持ち帰った2つの石です。
白・・・ ジラソルクォーツ
あらゆるものごとを調和に導いてくれる。
紫・・・ チャロイト
精神と感情のバランスをとり、心を解放します。
改めて、自然との結びつき、呼吸の大事さを感じ、
自分を変化させていくことを緩やかに行いたいと思いました。
2010年03月01日
あんねい

日付けが変わりましたが、昨日で2月も最後となりました。
今夜は満月が力強く輝いています。
月が照らす地上は様々な模様が映ります。
9月末にスマトラの地震があったのに続いて一昨日はチリの大地震。
昨日は大津波警報が一日発令中でした。
毎年発生する巨大地震。
見えない内に凝縮されて放たれる。
人の営みと離れたところの力では在りますが、人間の成すこと、思うこととは遠く繋がっているのではないのでしょうか。
阪神淡路大震災以降、地殻の平和が崩れたと聞きます。
足元で起こることは、日常生活をあっという間に揺るがします。
いつ、どこでも、誰にでも起こりうることとして。
2週間競われた冬の祭典も明日閉幕、人の持つ可能性を改めて教えてもらう期間でありました。そして、たどりついた長い道のりの末の晴れ舞台は、支えあいながらようやく迎えることができたものであることを垣間見る一ときでも在りました。
笑顔、涙、怒り。
結果についてくる表情の一つ一つに様々な人間模様を観ました。
表現は誰にでも与えられたものでしょうが、それが闊達に行く人とそうでない人と当然います。もちろん自在に行える人はそれなりの道のりを歩んできた末のことで、自分と向き合う苦しさを経てのことであります。
ただ、うまく表現できない人は、ただ単に手をこまねいているのか、といえばそうではないでしょうね。苦い思いを繰り返しながら必死で生きた方もいます。言葉が、文字が思い通りにならず、唐突で衝動的な動きになってしまうばあいもあります。それは、他人から見れば誠に不可解極まりないでしょうが、心の姿がそのように表している結果です。
命の尊さは、地球上に在るものすべて同じです。
できるできないだけをもって判断されるものではありません。
心がうれしいなー。
心が楽しいなー。
心が こころが ココロが
喜びを一杯感じられたら。
皆がそうあれた、世界にも地球にも伝わるのではないのだろうか。
・・・・そう、思います。
疲れて凝りがたまった背中をほぐしてみる月は、癒しのメロディーと香りと色を届けてくれているようです。
今日から弥生。
2010年02月26日
解放

久しぶりになりました。
2月も早いものであと2日となりました。
ここ数日雨が続き春を想わせる気温です。
ふーっと肩の力を抜いているようでいましたが、今朝起きて背中に疲労が溜まっていることを感じました。
バンクーバーでは様々な自己表現が繰り広げられてます。
結果以上に彼ら彼女らのその表現手段を手にし、晴れ舞台までたどり着いた様々な背景に興味がそそります。
自分の思いを伝えることがままならない方との対話を通して、誰しもが求める表現の形を考える今週でした。
現れないけど確かにある心の動きに目を向けて。
自らのぎこちなさから、その容易でないことを想うところです。
久しぶりに見上げた夜空の月は、雲を纏いながら、命の証を脈打つようでした。
明日はどんな日でしょうか。
2010年01月10日
抽象の具象

穏やかな1日でした。
年明け早々の諸事で疲れがピークです。
写真は、夕暮れを迎えた県の文化公園。
今日は16時過ぎに平和台のひむか村に行きました。
瑛九の最後の弟子と言われる加藤正さんが見えられているということで、ステーションのヤスさんが描いた絵を見ていただきたく、ヤスさんと伺いました。
シンポジウムが終わった後の僅かな時間に見ていただいて、アドバイスをいただきました。
自由に書いているようだが、一つのパターンの連続だ。
一枚だけ観ると抽象的作品として面白い。唯、一連の流れを見るとマンネリ化の流れに陥りかねないものも見てとれる。
ときには、トンボや人など、具体的フォルムを見て描くこともやってみると、発想の広がりを呼ぶ。
心の解放を生む為にも 描き続けること。
今、生きるその時を感じることを、自然に尊敬の念を抱くことを心の肥やしにすることを言われたように伝わりました。
加藤さんのお話しを聞いた後、久しぶりに県立美術館に瑛九の作品を観にいきました。
改めて、48年の生涯を掛けて作り出された作品の力に感動いたしました。
そして、彼が姉に宛てた書簡の中の一文にも激励を受けました。
人間は、不幸になると、付け焼き刃の理念、理論は剥げ落ち、生まれながらに持つ本性が顔をだす。昨日よりも今日をより良きものであるよう、自分を高めて行きたいのです。
彼の真摯な生きる姿勢、作品傾ける情熱をそこから感じました。
2010年01月02日
初月出

2010年があけました。
あけましておめでとうございます。
写真は昨日、元旦の月が登る時の写真です。
初日の出は見られませんでしたが、今正に登ろうとする月に厳かさを感じ、新年最初の月の出に一年の計を祈るところでした。
今日は主な親戚回りを家族とおこないました。
回りながら、些細なことも人づきあいには欠かせないものだ、と杯を交わしながら思う1日でした。
2009年12月14日
変らずに

師走となって2週間がたちました。
12月14日
旧暦10月28日
色々と考えること感じることがありすぎて、頭を休めることもままならない状況でした。
いつよりは寒さが感じにくい初冬です。
写真は、1週間前に夕暮れを迎えた平和の塔です。
先日、5日の日に行きましたコンサートに行きましたが、久しぶりに感情の高ぶりを覚える一時を味わいました。
マイノリティオーケストラという若い女性5人のグループです。
5人にももちゃんという高校1年生の女の子も唄で加わってのものでした。
唯単に、にぎやかで元気のいいバンドなのかなーと思いながら演奏を聴いていました。
途中、リーダーの小春さんの乗りのいいしゃべりが伝わってこないことも有りながら、徐々に彼女たちのなんとも言えない、魅力を秘めた演奏と歌声に聞きって行きました。
ラストの曲を迎えた時、それまでとぎれのないしゃべりをしていた小春さんの口調がゆっくりとなり、一言一言かみしめるように話し出しました。
これから、演奏する曲の説明として。
ビクトル・ハラという一人のシンガーソングライターの曲。
30年前の南米チリでのこと、当時クーデターによって軍事政権成立。その政権に反旗をひるがえす人民と一緒にビクトル・ハラは抗議を続けた。間もなくして彼は、チリ・スタジアムに連行された。連行されても尚、多くの市民を励まそうと革命歌ベンセレーモスを歌った。すると「二度とギターを弾けないように」と両手を撃ち砕かれた。それでも止めずに今度は手拍子で彼は歌い続けた。、頭に来た軍は、とうとう最後は彼の喉をめがけて一斉に銃を乱射し、ハラは、虐殺された。
震えながら、絞り出すように小春さんが話す言葉に、私自身、段々と目頭から全身に至るまで熱くなってきました。
「ハラのようになるなど容易に言えないが、私も音楽で人を元気にすることを続けて行きたいです。」と
時代に迎合しない、何時の時代、場所、どんな人にもすーっとはいって行ける曲を彼女達は奏でているんだなー、とラストの曲を聴きながら思いました。大きな幹をもってやっている彼女たちの姿は、曲に乗せて元気を沢山貰いました。
気持ちのいい久しぶりの熱くなる夜でした。
2009年11月23日
生きるって

11月も下旬に差し掛かりました。
ずいぶんと間が空きました。
その間は、いろんなこころの動きがありました。
明確に、伝えられない気持ちが在ることが分りながらずるずると来てしまい、それを止めることなく来ている自分を厳しく奮い立たせることもなく。
柔軟さが少なくなったのか、意固地にも思えるところもある。
しかし、唯、単なる意固地なのか。
近頃になって自分の中で価値観のぶつかり合いが起きているのを感じ続けています。
どっちがどういいというものではなく、おそらくその2つの境界線にいる自分は、その真ん中をうまく歩めることが必要なのではないかとおもいます。
中庸なのでしょうが。難しいことですが、時間を掛けてでもやらなければなりません。
最近、努めて見る番組があります。
11月22日で最終回となった 天地人と日曜劇場の「JIN」です。
どちらも見過ごすこともあるので、ネットなどでなるべく見るようにしています。
11月8日の天地人で心に残った言葉が、2シーンでありました。
■兼続が毛利輝元に向けて
「 毛利様、何卒お心を強くお持ちくださいませ。 生きていればつらいことも、ままならぬこともございます。 されど、それらすべてに慈愛の一念を持って対することこそが、人としてのあるべき姿と存じ上げまする。さすれば、いつの日かきっと、天は良き酬いをくださいましょう。 」
■仙桃院が臨終の床で息子である上杉藩主の景勝に向けて
「 引け目に思うことはなにもない。」
「 そなたは、そなたの儀を貫き通せばそれでよい。 」
それから、日曜劇場の「JIN」の第一話より
医者の南方仁が江戸時代にタイムスリップして、現代では容易に麻酔を掛けて縫合の手術ができる怪我を麻酔が無いことにうろたえていたところ、患者の幼い息子が懸命におまじないを唱える。
「ちちんぷいぷい ちちんぷいぷい」
必死になって唱える彼を前に南方は、心の中で彼の支えとなる人に向けてかたった。
「 これまで手術を成功させてきたのは、俺の腕じゃ無かったんだよ。今まで誰かがつくって来てくれた薬や技術、設備や知識だったんだ。 そんなものを無くした俺は、痛みの少ない縫い方一つ知らないやぶだった。14年医者をやって来て俺はそんなことも知らなかった。自分はこんなにもちっぽけだとは知らなかったよ。 」

どちらの番組からも生きることの元々を考えさせられます。
何の為に今在るのか。
精一杯に生きることを、したい。
日々、僅かでもそう思い進みたい。
そう、ありたいです。
2009年10月25日
雨粒の落ちる先

今日は、1日雨でした。
台風の影響かだいぶ強い風が吹き抜けることも。
写真は、先々週16日に訪れたフローランテ宮崎での1枚です。
今日は、久しぶりの休息でした。
力を抜くことをやらないと、心がとげとげしくなるようです。
午後、てんてんさんの所で足もみをして頂いて、
随分、身体の緊張がほぐれました。
全身を巡る血がなめらかに流れていくようですっきりしました。
今日ももんで頂く以外で、元気になることに繋がる話題や人について教えて頂きました。
■「家族の未来のために本物の食べ物と食べ方を」で講演される赤峰勝人さん
(2009年11月15日(日) 13時から 会場:オルブライトホール)
■てんつくてんさんの映画上映(2009年11月8日(日)佐土原文化会館)
それから、若石健康法の効果について改めてお聞きしましたが、
効果を大きく生む為には、自分自身が求めて信じてやり続けることが、
大事なことのように感じました。
創設者ご自身がリュウマチを治されたお話しや、
脳性マヒの方がやり続けて歩けるようになった症例など、
一心に思ってやり続けて行うことで自然治癒力を高める効果が
より一層表われやすい場合もあることを知り驚きました。
見えない力、念の力を思いました。
先週の月曜、火曜に受けた研修の中で、
講師が随所に金子みすずさんの詩を挿入されていました。
彼女のような心をもって、視点を持って、
人と向き合う現場に臨んで欲しいとの切実な想いからでした。
挿入の中の詩より・・
星とたんぽぽ
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ
見えぬけれども、見えぬものでも あるんだよ に結ばれる、彼女のこの世の中の万物によせる尊敬の念、深い愛情、無限に広がる宇宙のような大きさを感じます。
決して目に見える事だけで判断したり、目に見える事だけを信じたりすることなく、自然界に存在する粒子の1粒に至るまでの色を臭いを感じ、「気」を感じ、想像する世界を無限に広げていく。
そんな自由な心で有りたい、そう思います。
彼女が生まれた山口県長門市仙崎では、町全体で各お宅で一番好きなみすずの詩を板などに自分で書いて玄関さきに掛けているそうです。
私が好きな詩は、幾つもありますが、最初に衝撃を受けた「大漁」です。
大漁
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮の
大漁だ。
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだろう。
2009年09月15日
百八つ

日付が変わりましたが、9月14日。
旧暦7月26日。
年末まであと108日。
穏やかな秋晴れの一日でした。
大晦日まで、除夜の鐘を鳴らすように煩悩を1日1つ払いながら、1年の締めくくりを心穏やかに迎えたいと思います。
写真は、頼まれた看板を作るための部材です。
防腐、防虫、防水の為に柿渋、弁柄、桐油を塗りましたが、なかなか要領よくできません。
明日には、板に文字を入れる予定ですが、少々不安です・・・。
「頼まれごとは、試されごと」
昨日、久しぶりに経絡のマッサージをして頂いた、てんてんさんのお店にあった新聞の中で中村文昭さんが掲げられていた言葉です。講演会の案内に標語のように載っていたものでした。
頼まれごとをどれだけ悩んで悩んで、最善を尽くせるか。
どんなことでも誠実に向き合えるか。
出来ないことまで引き受けていないか。
自分を高める機会であり、正直に人の心と向き合うことを試される機会。
そんなことではないかと思います。
弁柄色の手を拭きながら、明日を楽しみにしたいと思うところです。
2009年09月13日
待つ



9月に入り早くも2週間がすぎました。
夜の静けさが際立ち、窓からの風がひんやりとしてきました。
写真は、上から9月5日の午前1時ごろの月
2番目が9月10の夜23時ごろの月
最後が9月11日の24時近くの月 です。
ときより目につく月に目が向いてシャッターを切るところまではあっても心にまで光が届いていないのか、なかなか月と会話をすることまではいたりませんでした。
しかし、こうして並べてみると、月の輝き、満ち欠けの違いがわかってよかったです。
5日の満月は、疲労困憊、余裕なしの心には、まぶしすぎるくらいでした。
今日、久しぶりに意識して、遅くなったのですが本屋にたちよりました。
「墨」、日野原先生の本、エニアグラムの本、等々立ち読みをしていました。
二玄社の200号記念の「墨」では、行書の書き方を伝統にそくした形での習得から、生活になじむ書の在り方をしめされていました。文字という素材をどんな時もしっかりとした意識で書くこと、それが自らを高めることであり、普遍性を身につける道である。一般受けするところから入っては、根本的な気持は作り上げられない。そんなことを、久しぶりに感じ、墨の香りと条幅の白さに向き合いたくなりました。
日野原先生の本では、”いかに病むか”とのページに目がとまりました。人生で起こりうることを如何に自らを前に押し出す推進力にかえられるか、自らの心の受け止め方次第である、とのような内容。先生の優しさがにじみ出たような文体と配慮された構成、文字の大きさに心地よい空気を味わうようでした。
エニアグラムの本は、思わずてにしました。人間関係きらきらさんで少し伺ったことのあるもので、なんだか、必然的に目についたようでした。 人間のタイプとしての性質、性格は変えられないけど、広い意味での性格はかえられると。経験値によって得られるもので、自らを高めていく可能性は十分にあるとの内容のページをしばし読むところでした。
本屋に数時間いながら、呼吸がゆっくりとなり、思考回路に血液がよく通るなるような感覚になりました。
今週は、アートとは、表現することは、生きるとは、を慌ただしく考える1週間でした。本を手にしながら、少し間を置くような視点を広げるようなひと時になりました。
何かが生まれてくるには、「待つ」こと。
慌ただしく考える中にいながら、なんとかポイントとしてこのことを思うところでいました。
人を待つ、自分を待つ。
人の心に寄り添い、呼吸に寄り添い待つ。
待つ心が持てない、自分の心の落ち着きを待つ。
自分の心が、自然と放出してくるまでの時間を待つ。
待つ心が、気持を高め、いのちをつないで行く。
あと、1週間でお彼岸です。
そのころ、タイミングを合わせて咲く彼岸花。
血のような花のイメージから墓に植えられ、花言葉は「悲しい思い出」というようですが、一方で、なんとも言えないな美しさから、「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」の花言葉もあるそうです。
赤い鮮やかな彩りが咲き誇るころに、どんな空気が、風に運ばれやってくるか、楽しみに待ちたいです。
2009年08月09日
64年

今日は朝から雨です。
延期になった花火大会も中止?のようです。
政治の話しに被さるように1週間、薬に犯されている現状を現す報道が続きました。
写真は、6日の朝、8時15分前の東の空の様子です。
その日と今日、64回目の平和記念の日が巡ってきました。
自分が生まれる前のそう遠くない時にあったその時。
一瞬にして何もかもを奪い去ったその時。
その当時から命をつないでおられるかたの証言や当時を映した映像などで想像はできますが、神経の隅々まで及ぶほどに感じいることは出来えません。ただ、知ろうとしなければならないと心のそこから思っています。
5日の夜の番組に、90歳の女性が広島市内の慰霊碑にお水を毎朝数箇所ずつ回って上げられているお姿が映しだされていました。
爆心地近くにいて、その時を奇跡的に救われた彼女は、すぐに外に出てあたりを歩いたら、道に倒れている人々から水を求められました。必死になって水を汲み、僅かに動く手を伸ばす人々のもとに届けようとしました。すると、近くにいた方から、「そんなことをしたら死んでしまう やめろー」と言われ、結局、彼女は、焼けただれ、苦しんでいる人のもとに水を届けることはできなかった、ということでした。
このことが、戦後64年、ずーっと彼女の中に償いの念が消えることなく残り、欠かすことなく続けているということでした。
何もかもが異常な状態に陥り、まともな感覚、感情、動きができなかったことが招いた、黒い黒い闇のような世界。
時間が経って、何事もなかったような今がありますが、とてつもない、闇の力は、心の深い深いところから拭い去ることはできないものだ、とただ、そう思うことしかできませんでした。
2009年08月03日
こえにこえられぬ

8月月に入り、蝉の鳴き声が残暑を余計に感じさせています。
今朝は朝から雲がうっすらとかかる天気で、時より覗く日差しは突き刺すようでした。
写真は先日、機会があって訪れた鹿児島市にある南州神社に建つ碑です。
ぬれぎぬを
干そうともせず
子供らが
なすがまにまに
果てし
君かな
勝海舟
西南戦争で散った西郷隆盛に勝海舟が贈った言葉です。自らの本意ではないが、自分を慕う若者達が走りだしたことに潔く身を預けた西郷さんを想ったものです。
この碑のすぐ横には江戸城無血開城に尽力した西郷さんへの功績と感謝を込めて、昭和10年に当時の東京市から贈られた常夜燈がたっています。
雄大にそびえ立つ桜島を見渡せる高台にある神社には、官軍と戦い散った人々の墓標も並んでいます。
御神体でもある西郷南州を囲むように整然と並んでいます。
久しぶりに訪れてみて、これまでに感じたことのない力を、境内、墓地全体から受けるようでした。
132年前の志が今と繋がっていることを感慨深く思い、頂が雲に隠れる桜島をゆっくり眺めていました。
今日も暑い1日でした。