2009年05月31日
銀河 軌道式線 循環系

今日も穏やかな一日でした。
今朝は地区の防災訓練の案内スピーカーから始まりました。
近頃、母の時間に付き合うことを後回しにしていて申し訳ない限りです。
決心して歩こうとしている時でもあり、思案すること、やることが重なり後回しにしてしまっています。
呼吸が短くないかなー。
ゆっくり息を吸って、動きを緩める時も持たなければ。
そんな気持ちで在りながら、レールの先を延ばしていきたい。
2009年05月30日
風もあれば 晴れもあれば 雨もあれば

5月30日
昨日は一昨日とかわり暑さを感じるような晴天でしたが、
今日は、晴れ間がちょくちょくのぞく穏やかな日でした。
写真は、緑地帯にあるお花。
昨日移動途中、信号待ちで鮮やかな黄色が目にとまり思わずシャッターを切りました。
今日の夕方には薄いグレーの雲がいそいそと姿を現わしてきて、雨がポツリポツリ。
心の動きと空の移りゆく様を重ねながら、明日の朝の空の姿を楽しみにしたいです。
日々是好日・・。
2009年05月27日
進化 深化 ・・・

5月26日
旧暦5月3日
宮崎は日照り続きで田んぼも干上がってきてきていましたが、今日は久しぶりに雨が降り、いくらか潤いが戻ったのではないでしょうか。
それでも、少ない雨です。
新型インフルに関する動きは徐々に熱が下がりはじめる気配がしますが、時代の変革期であることを身近なことから、地球的なことから感じることが続きます。
25日の朝日新聞の天声人語ですずめが激減している、という内容に大変驚きました。
その日の午前9時54分には、またしても北の暴挙が起きてしまい、世界規模で何か大きな力が作用しあっているように感じられてしかたがありません。
関西地方を中心に感染が広まるインフルもアメリカが落とした、という噂があったりもします。根拠のつかめぬことですが。
大小の波紋がぶつかり会うように、自らのこと、身近なことにも変化の波が打ち寄せてきています。
とかく、負の螺旋(らせん)に地球規模で突入したような昨今ですが、異なる視点、異なる感覚を磨いて、たとえ小さな石ころであっても一つでも二つでも、一人でも二人でも投げ入れる勇気を持つときではないかと思うところです。
効果が現れにくく、容易ではありませんが、信念をもって常に在れたら、必ずそうなるはずです。
自らの仕事、人間関係から地球的な事柄までを通す真実(真理)を求めて。
今のこの時に応じた自分で在るためには、深化して進化する。
全身、全霊を柔軟に対応させて、真実を求め続ける。
異常な感染騒ぎとなったころの数日前の天声人語では、奄美の梅雨入り宣言に、それでも変わらず訪れる季節のめぐりに安堵する心が記されていました。
個体数の減少などありながらも、側に在る色彩や香りにしばしこころを休めることも自然を思うかけがえのない一時であります。
雷が久しぶりに響いていました。
2009年05月20日
種々輝 きて

ちょうど 1ケ月前に上京した折に 訪れた東京タワーからの夜景。
21年振りに登ったタワー。
眼下に幾重にも広がる光に、おもわず綺麗、と思う一方で、その一つ一つに在る生活、人生、顔、香りを想像するところでした。
輝きを通して存在を確認する「人」に、直接的でありませんが、この時に生きる者としての繋がりを感じずにはいられませんでした。
今日も宮崎は穏やかな気候でしたが、新型インフルエンザの流行の影響は、身近なマスク売場にも現れいます。
今日は何人でした。
感染率の高さや病弱の方が感染した場合など警戒する必要性はあるにせよ、不安を煽るような施策と報道には疑問を思います。
自殺者にしてもですが、人が簡単に数字で表されてしまう現状を受け入れがたい気持ちがあります。
感染された方も、無念にも道を断たれた方にもそれぞれに輝く「個」性があるのですから。
2009年05月16日
ほっとする…

穏やかな日でした。
世論を統制するようなニュースにはほどよく耳を貸し。
おとといのことでした、微笑む話題でした。
ステーションにて。
養護学校の先生より。
「かわいい」と「美しい」と「幸せ」を常にお母さんから聞き続けた生徒さん。
授業のはじまり号令を担当して、「今から、幸せな授業を始めます」 と。
衝撃をうけました。
彼女にあってみたいなーって、気持ちに。
2009年05月13日
鮮やか 名前は?

昨日も今日も暑い1日でした。
小学校は5月末には運動会があるところも。
庭に咲いている赤い花。
母に聞くと「葵」と。
ネットで調べるといろいろ葵もあって?? です。
朝日を受けて一層鮮やかな色を一心に輝かせどいる姿にみとれました。
2009年05月11日
肌の感じ

5月11日
旧暦 4月17日
月を目にしたのでシャッターを切りましたが、呼吸が大きくぶれてしまいました。
高岡からの帰り、閉園間近の生目の森運動公園を歩きました。
芝生の上を裸足で歩きましたが、歩き始めると足の裏が緊張していることを感じました。
しかし、だんだんと全身にリズムが伝わり、足が自然と地面を掴んでテンポ良くなり、濡れた芝と地面の硬さ柔らかさ、凸凹など足の裏から刺激がずんずんと上がってきて、心地いい感じになりました。
この肌の感触、皮膚感覚がずいぶん麻痺した状態になっているんだなーっと気づいたところでした。
深い呼吸をして、全身が熱くなり、汗が程よくじんわりと・・・。
2009年05月10日
新緑に 動く ココロ

晴天の一日
昨日ほどの暑さはなかった。
2週間ほど前に依頼のあった作品をようやく書くことができました。
中学校の剣道部の道場に掛けるもの。
部の保護者の会が、監督を退かれる先生のお祝いとして、部に送るものとしてご依頼いただいたものでした。
永年ご指導されてきた先生が生徒さんに一貫して伝えてきた言葉とのこと。
本番の杉板に向かうまでに半切の紙を重ねていきましたが、言葉のもつ重さ深さがだんだんと身に染みてきました。
決心して板に筆を降ろし書き上げたあとは、心地いい感じがありました。
フドウシン
決して硬直した考えではなく、柔軟な動きも心得ながら普遍的な心の動きも合わせてもつ。
洞察力を磨き、物事の本質を見極め、懐広く受け入れる”心”。
日々の鍛練がそれを培う礎となる。
三文字とから受けるメッセージはしんせんでした。
********************
今日は、午後 久しぶりに「足つぼてんてん」さんにいきました。
もんでいただいた後、足がいつもよりも緊張感がとれていない感じでした。
心の疲労も相当かなー と思うところでした。
揉んでいただいたあと、ほぐれた心からでてくる話しを、黙って聞いていただくことも大きいです。気持ちが、それでふーっ、と軽くなるようで。
てんてんさんから聞いた 運動公園の日本庭園をそのあと歩いて、おいしい空気を味わいました。
2009年05月08日
不惑…不動心…不可欠

高速道路1000円で環境汚染に拍車を掛けた連休もいつの間にかすぎさりし。
7日。
汗ばむ陽気だった。
ここ1ケ月気持ちを高めながら新しい展開に臨もうと気持ちを持ってきたが、根本的な変化の理由付けがぼやけた状態になっており揺らいでいる。
団体、組織で何か目的を持って進もうとするとき、どうしても行き詰まりを生じる場合がある。
それを変えようとするとき、かなり謙虚に自己と組織とを反省するところから始めないと先に行かない。なれやいで当たり障りなく事態を収拾しようとするなら、シコリをのこしたままとなり、いずれ再び疲弊を起こす。
変えるならば、しっかりと目を向けて避けて通らないこと。
わどわずにはいられず、どっしりといようとするけども曖昧さでうやむやになりそうでそうならない。
修行の一途である。
2009年05月05日
遠慶宿縁

晴天の日
子どもの日
おととい、父の三回忌の法事が無事行うことができました。
歳月の移り変わりは本当に早いものです。
「遠慶宿縁 おんきょうしゅくえん 」
父が眠るお寺の入り口に掲げてあることばです。
お経を読まれた後、住職がこのことを話されました。
御仏の前で手を合わせることもそうでないことも、古(いにしえ)からの縁によって導かれたもの。
この世に生きるものは誰も無縁なものはない。
私が生きるではなく、命が生きる。
死があるから生がある。
私達の命があるのは、何かの命が消えることによって成り立っている。
3日に出席頂いた親類の方々を前に、残された家族で、これからをしっかり歩んでいくことを誓い、ご縁のありがたさを、今在るありがたさをしみじみ思うところでした。