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Posted by みやchan運営事務局 at

2014年03月30日

未来型地球市民

岸井さんと膳場さんのニュース番組と
時論公論でICPPによる地球温暖化に関する報告を扱っていた。

本会議では相当深刻な状態を危惧することがやり取りされたと。
公にすると大きな不安を煽るのでトーンを下げたものであったと。

今世紀末までに相当なる気温上昇に達し、それに連動して、雨量が増加。
気温上昇と雨量増加で熱中症で亡くなる方が今の2倍に増え、稲作は北の日本以外はかなり品質が落ちてしまい、海面上昇で砂浜が80パーセント以上が消えると。

温室効果ガスを抑える努力を最大限にしながら、気温上昇にともなう気象変動に適応する対策も同時に必要だと。
各国の利害の駆け引きが足かせになっている現状もあると。

地球の状況に目をやるグローバル的視点と
身近なところに目をやるローカル的視点。
その2つを併せ持つ、「グローカル」視点を一人一人が持ち行動することが未来型地球市民と結んでいた。

「未来型」の「地球市民」って・・・。
「今」は「過去」にもなり「未来」にも。

環境のことについての問は正直、僕自身の日常に見えることが少ない。
気にならないではない。
報道や見識者から伝わるものに触れると、何かできないか、どすればいい、と考える。でも、日常の中、環境を意識していることは少ない。
ゴミの出し方とエアコンの使用頻度の調整ぐらい・・・。

坪田愛華さんの、「地球の秘密」に出会ったときも環境について考えたが、彼女の純粋な思いの塊に心を動かされたところが大きかったようにある。

最大公約数に対し、非難や批判を一時的にすることもあった。
最大公約数、日本人はーとか、世間はーとか、その中には僕も含まれている。

これまでの地球の歴史、生物の歴史、人類の歴史、その上に僕は居る。
今、この地球にいる役割を預かっている。
この先の「今」に関する大事なことを行うこと、行おうとする意識を、こんなふうに思っていることを語る。
役割として僕は、今、思う。

想像する。
物が目覚しく発展するまでは地球は、人が遠い遠い地の人の存在すら知ることもなく、土をいじり、星と太陽により教えを受け、自然を慈しんでいたことを。
そして、物の発展により遠い遠い距離の地のことを知ることとなり、自然を崇める度合いが相対的にすくなってきたのでは、と。

僕の体内にある感覚を僕自身で呼び起こす。
麻痺しているものも随分あることを自覚して。
簡単でないことを自覚して。
地球と人類の途方もない時間の末に今いることを自覚して。
僕自身の人生により染み付いた習癖があることを自覚して。

今、感じることに耳を傾け、指一本でも、顔の傾き一つでも、背骨の曲がり具合一つでも、できることをする。
目を向けた先に眼球を留め、息を大きくゆっくり深く吸い、静かにゆっくり吐く。
頭から指先、足の先まで血が巡る意識をもって。

今「生きている」ことを感じ在ること。
自ずと大きな規模の視点とごくごく身近な視点を使い分けて行うことをっ身につける。
僕自身との向き合う楽しさは、顔をぼやけさせてしまう「宮崎の人」「九州の人」「日本の人」「アジアの人」「世界の人、地球の人」と向き合うことに繋がるのだと思う。

自分を知ることから、過去を地球を未来を感じ学ぶことに踏み込みたい。

そんな風に「未来型地球人」を思う。
  


Posted by いこいこ at 23:17Comments(0)日常より