2009年07月05日
真につながる

7月5日
旧暦5月13日
辛亥 大安
穏やかな一日でした。
南頂間近の月。
ほぼ、満月に近く、久しぶりに輝きの強さを感じます。
7月に入っても暑さも例年のような感じではありません。
ここ数カ月の流れの中で、自分の心がしっかり土台を据えて、これからのことに臨んでいく気概をしっかり持つことが決心につながると思うようになりました。
たまにしか、それも少ししか見ない大河ドラマを観ていましたら、兄の愛から勇気を出して飛び出す弟の姿が描かれていました。
仁義を重んずる上杉。
「仁愛」によって人と人との最も大事なつながりを築いていく。
それこそが、国づくりの礎と。
弟、実頼が、兄、兼続に
「兄上のその深い愛が私をダメにする。
兄上にすがることなく、自分の力で京の街で精進したい」
と。
愛の形、伝え方、用い方、受けとり方は、一様ではありませんが、
ただ、本当に真実を伝え続ける力は、「愛」を信じることからあるのだと思います。
その「愛」を貫き通すために決心して打って出ることも必要です。
連合艦隊司令長の山本五十六の言葉「男の修行」を今、想います。
「男の修行」 山本五十六
苦しいこともあるだろう。
言い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である。
月が、やさしく笑っています。
2009年06月21日
お天道様

夏至
父の日
父が逝って丸2年が経っちましたが、晩年の9年は、父と真正面から向き合うことを避け続けた日々でした。
父の寂しさ、もどかしさ、悔しさ 感じながらもただ、時を過ごすばかりでした。
その間の6月第三日曜日は何もすることなくいました。
今日は、弟家族と花を贈りました。
姿形はなくとも今、尚、感じる父の威厳。
一年で一番、太陽が長く在る日に 今更ながら、しみじみと感じずにはいられません。
2009年06月15日
水の染み込み 吸い上げるチカラ

空梅雨の様相。
一日中晴天でしたが、田んぼは水不足で土がカラカラになりかけているような感じです。
久しぶりに訪れた山あいの母の里では、今が正に田植えの最中でした。日照りが続き作業もしんどいもようで、加えて、新芽をあさる鹿の対応の為に水田の周りに防護ネットを貼る作業もあり大変のようです。
写真は、ステーションの建物の僅かな隙間から茎と葉を元気に伸ばすイチジク(?)の姿です。
厳しい条件ながらも生きるために日光を求めて青青と茂る様は、無言で力を放っています。
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数日前の子供の教室。
新しく入ってきた小学2年生の女の子。最初は緊張した面もちで初めて手にする筆を動かしていました。
最初は大きく腕を動かすことを意識するために丸を大きく書き、次に文字に呼吸を送り込む基本となる横一の練習をして、最後に学年課題の4文字の揮毫へ。
丸をかく途中、横一を書く途中に、「すごいねー」 「いいねー」と少しだけ声を掛ける。
だんだんと勢いとテンポを自ら掴んで一心に筆を動かしていました。
帰り際に「習字たのしいー」 「習字すきー」と 。
素直な振る舞いに、ただただありがたく想った次第でした。
そして、こんな純粋な気持ちで好きになれたり、夢中になれたり、言葉にできたり、子供の持つ無垢な心に、感覚が鈍くなった自分の心を揺さぶられたようにありました。
。
2009年06月01日
少数派と多数派

今日から6月
少し汗ばむほどの陽気でした。
だんだんと日が高くなり
21日には、夏至を迎えるころとなりました。
自分の身にある数ヶ月続く慌しい状況。
心底決断をして進むこととしました。
少ない立場の意見、葛藤を伝え、その立場だからこそ見えることを出来得る限り社会に伝えていきたい。
制限があることは自由を強調する。
新たな気持ちで歩み始める今、改めて思うことです。
ここ数年、何か制限が課せられていることとと、本能的に表現をすることは比例するように感じられてきました。特に身体的なものでは顕著に思うところがありました。
キャンパスや紙の大きさが制限があることも、どうその空間を使うかを考えることになり、制約のなかでいかに自由闊達に動き回れるか。
そのときに、自由に動ける身とそうでないことではまた違いがあります。
身体が滑らかに動き、考えることが出来ればできるほど、奔放さを表出することは至難の業のようにあります。
決心をして歩むことになり、このことをしみじみ伝えていく必要性を感じて居ます。
このことを役目として。
しかし、少数派とされる視点、立場ばかりを誇張しすぎずに、あくまでも融和と共存を図れることをめざして、信念を持って続けて行きたいです。
ただ、今尚、偏見と差別は、見えないところにまだまだはびこって居ます。
そのためにも繋ぎの役として 在りたいです
水無月 みなづき 水の月
2009年05月27日
進化 深化 ・・・

5月26日
旧暦5月3日
宮崎は日照り続きで田んぼも干上がってきてきていましたが、今日は久しぶりに雨が降り、いくらか潤いが戻ったのではないでしょうか。
それでも、少ない雨です。
新型インフルに関する動きは徐々に熱が下がりはじめる気配がしますが、時代の変革期であることを身近なことから、地球的なことから感じることが続きます。
25日の朝日新聞の天声人語ですずめが激減している、という内容に大変驚きました。
その日の午前9時54分には、またしても北の暴挙が起きてしまい、世界規模で何か大きな力が作用しあっているように感じられてしかたがありません。
関西地方を中心に感染が広まるインフルもアメリカが落とした、という噂があったりもします。根拠のつかめぬことですが。
大小の波紋がぶつかり会うように、自らのこと、身近なことにも変化の波が打ち寄せてきています。
とかく、負の螺旋(らせん)に地球規模で突入したような昨今ですが、異なる視点、異なる感覚を磨いて、たとえ小さな石ころであっても一つでも二つでも、一人でも二人でも投げ入れる勇気を持つときではないかと思うところです。
効果が現れにくく、容易ではありませんが、信念をもって常に在れたら、必ずそうなるはずです。
自らの仕事、人間関係から地球的な事柄までを通す真実(真理)を求めて。
今のこの時に応じた自分で在るためには、深化して進化する。
全身、全霊を柔軟に対応させて、真実を求め続ける。
異常な感染騒ぎとなったころの数日前の天声人語では、奄美の梅雨入り宣言に、それでも変わらず訪れる季節のめぐりに安堵する心が記されていました。
個体数の減少などありながらも、側に在る色彩や香りにしばしこころを休めることも自然を思うかけがえのない一時であります。
雷が久しぶりに響いていました。
2009年05月10日
新緑に 動く ココロ

晴天の一日
昨日ほどの暑さはなかった。
2週間ほど前に依頼のあった作品をようやく書くことができました。
中学校の剣道部の道場に掛けるもの。
部の保護者の会が、監督を退かれる先生のお祝いとして、部に送るものとしてご依頼いただいたものでした。
永年ご指導されてきた先生が生徒さんに一貫して伝えてきた言葉とのこと。
本番の杉板に向かうまでに半切の紙を重ねていきましたが、言葉のもつ重さ深さがだんだんと身に染みてきました。
決心して板に筆を降ろし書き上げたあとは、心地いい感じがありました。
フドウシン
決して硬直した考えではなく、柔軟な動きも心得ながら普遍的な心の動きも合わせてもつ。
洞察力を磨き、物事の本質を見極め、懐広く受け入れる”心”。
日々の鍛練がそれを培う礎となる。
三文字とから受けるメッセージはしんせんでした。
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今日は、午後 久しぶりに「足つぼてんてん」さんにいきました。
もんでいただいた後、足がいつもよりも緊張感がとれていない感じでした。
心の疲労も相当かなー と思うところでした。
揉んでいただいたあと、ほぐれた心からでてくる話しを、黙って聞いていただくことも大きいです。気持ちが、それでふーっ、と軽くなるようで。
てんてんさんから聞いた 運動公園の日本庭園をそのあと歩いて、おいしい空気を味わいました。
2009年05月08日
不惑…不動心…不可欠

高速道路1000円で環境汚染に拍車を掛けた連休もいつの間にかすぎさりし。
7日。
汗ばむ陽気だった。
ここ1ケ月気持ちを高めながら新しい展開に臨もうと気持ちを持ってきたが、根本的な変化の理由付けがぼやけた状態になっており揺らいでいる。
団体、組織で何か目的を持って進もうとするとき、どうしても行き詰まりを生じる場合がある。
それを変えようとするとき、かなり謙虚に自己と組織とを反省するところから始めないと先に行かない。なれやいで当たり障りなく事態を収拾しようとするなら、シコリをのこしたままとなり、いずれ再び疲弊を起こす。
変えるならば、しっかりと目を向けて避けて通らないこと。
わどわずにはいられず、どっしりといようとするけども曖昧さでうやむやになりそうでそうならない。
修行の一途である。
2009年05月05日
遠慶宿縁

晴天の日
子どもの日
おととい、父の三回忌の法事が無事行うことができました。
歳月の移り変わりは本当に早いものです。
「遠慶宿縁 おんきょうしゅくえん 」
父が眠るお寺の入り口に掲げてあることばです。
お経を読まれた後、住職がこのことを話されました。
御仏の前で手を合わせることもそうでないことも、古(いにしえ)からの縁によって導かれたもの。
この世に生きるものは誰も無縁なものはない。
私が生きるではなく、命が生きる。
死があるから生がある。
私達の命があるのは、何かの命が消えることによって成り立っている。
3日に出席頂いた親類の方々を前に、残された家族で、これからをしっかり歩んでいくことを誓い、ご縁のありがたさを、今在るありがたさをしみじみ思うところでした。
2009年04月04日
いろとりどりに繋がって

春爛漫。
新年度に入りようやく暖かさもあるが、まだまだ寒さも残る。
昨日は、昼間は、まぶしすぎず、寒すぎずちょうどいい感じの一日でした。
4月3日。
旧暦3月8日 戊寅
阪神タイガースの金本知憲
ボルチモア・オリオールズの上原浩治
読売ジャイアンツの 高橋由伸
の誕生した日でもある。
今日から、2009年のプロ野球ペナントレースの開幕。
先のWBCに沸いた余韻を残し楽しみなカードか各地に。
ジャイアンツは、上原の抜けた影響なないと思うが、苦杯をなめた。
残念。
写真は、先週27日の宮崎港。
遠くに関西方面に向うフェリーの姿が微かに浮かぶ。
世界を一つにつなぐ大海原に向かう入口で、
地球人としてのおおらかさと自在さを兼ね備えた心でありたいと思った。
波の高い日もあれば、穏やかな日も。
文化、言葉、思想の違いを超えて間違いなくあるのは、地球に住むということ。
いのちの原点の海でつながっているということ。
日常の出来事、関係で揺れることがありながらも、ゆるぎない心を、愛をもって在りたいと思う。
今日も昨日も考えることも数々に・・・。
こころを大事に今日に感謝し、明日を迎えたい。
2009年03月21日
別の脳 静かな春の入り口

今日は、昨日よりも気温が5度ほど低め。
空もうす曇。
朝から、家族で父の墓前に手を合わせてきました。
お寺には保育園が一緒の敷地にあります。
桜も咲く側の園庭に空に高く伸びる枝が力強く感じられました。
3日前に「NPO法人人間関係アプローチきらきら」を尋ねて、お話しを聞いて頂いたのですが、自分のことを客観的に見るには、メンタルサポーターの力添えが必要だと実感しました。
自分の現状認識をするにあたり、どの程度のストレスがあるかをまず。
ストレスに関して認識、知識が不可欠ということで。
ストレスが過度に重なると身体的反応、行動反応、心理反応に表れてくるとのこと、どれも具体的内容を聞きながら、「あー」と言うばかりで、自分が過度のストレスであることを客観的に知るところでした。
ストレス解消法について聞かれれると、以前のことは出てくるが、現在はほとんど出来ていないことを確認。
解消法のポイントではとにかく普段使わない脳の働きをすること言われた。そして、自分が楽しいと思えることをする。
それから、副交感神経を活性化する呼吸法も。
心の疲れを身体的な動きでほぐす。
温泉、映画(笑えるもの、泣けるもの)、散歩、寝る前の筋トレ、お酒(適量)などなど。
解消法についての話しの後は、 6段階法によるストレスの改善について。
①ストレスの要因を具体的な内容、名前をだしてとにかくすべて、書き出す。
そして、書き出したものに一番ウエイトがかかっているものから順番をつけて行く。
②次に1番重いものの解決策をとにかく非現実的に思われるものもふくめて書いていく。
③そして、書き出したものの解決策の中から、取り掛かれそうなものを検討する。
④検討後決定する。
⑤そのさくを実行にうつす。(実行前に何度か練習もある場合も)
⑥その結果、自ら評価して、まだ策を講じる必要があれば、①からやり直していく。
当日は、②までしか出来ませんでしたが、このストレス軽減が図れたなら、自信やコミュニケーション改善につながる、とのことでした。
ただ、本当に自分を客観的に見る作業をするには、メンタルサポートする方の力は大きいと感じました。
内観するところから、ストレスが過度に行くと思考の働きが固定化して出来にくいところありますから。
別の脳の働きを意識して、呼吸を意識して・・。
2009年03月13日
此岸 祈願 春風疾走 寒なり

カサブランカの花が切り花ながら部屋いっぱいに甘い匂いを放っています。
今日は、春2番だったか、朝方は強風が吹き荒れていました。
月曜日の晩からの体調も少しずつうわむきに。病は気からということを思うところです。
先日、父のことでお世話になっているお寺からの会報に彼岸にまつわることが記載されていました。
お盆は、先祖を思い出し手を合わす優しい行い。
反対に、彼岸会では、煩悩にに惑わされ生きる営みを行う世界の此岸(しがん)から、あの世、彼岸を思う修行を行う、とかいてありました。
こんな季節の時期だからこそ、一輪の花や土、小鳥、虫などに、いつもより気を心を傾けておけたら…。
今夜は、水滴が土をひっそりと湿らしています。
2009年03月08日
紆余曲折 七転び八起き 笑ったり泣いたり

啓蟄を過ぎ、旧暦の2月12日。
季節が移り変わるころ、土の下でも上でも生命の転換期を迎えている。
そんな時期も影響するのか気持ちもいろいろと変化を起こす。体も軽く気持ちも軽くの時あれば、ドスンと重りをぶら下げたようなときも。交互で訪れるような感じ。
今日は、昨日からの鉛がいくらか落ちて軽さがでてきたような。
トイレに人から戴いたお地蔵様が掛けてあるが、全く目を合わせることがないことに気づいた。
雨が降ったり、晴れたり。
それでいいんだ、それがいいんだ、そう、思い、手を合わせたい。
あと12日でお彼岸。
2009年03月05日
ハンタイの作用−ココロ

空を見ることが好きです。
視線が晴れ晴れとなり明るくなる感じがして。
ふと、地上に向けると懸命に活動をするバッタが。
昨晩、床の中で何気に体の向きを左にしたところ、体の居心地がよく、気分も和らいだような感じになりました。
思考の流れが変わったような感じがするほど。
最近、日常の行動にメリハリなくマンネリ化した感があり、寝るときも右向きが多かったようにあります。
ちょっとした向きの変化で、体内の流れが変わるものだと思ったものでした。
理解しあえないような関係性でも、相手が在って感じ得ることができることが確かにあります。
それがそう、思えるには意識して視点をかえたり、心の休養をとることが必要なようにあるなーと思うところです。
疲れていたり、愚痴が続くと、思考と行動が硬直化するようで。
今晩は、またまた雨ですが、降り落ちる雨と水を存分に受ける土の心を感じながら、右左行き来しながらゆっくりと体を休めることとします。
お休みなさい。
2009年02月21日
旧交に癒す ~祈り

WBCたけなわの宮崎
今日もいい天気でした。
週末に来て心身ともに疲れ気味です。
昨晩、小学校からの友人と久しぶりに酒を酌み交わしました。
純粋にお互いの話しに耳を傾け、忌憚なく思うところを言う、腹の底からスーッとするものでした。
懐かしい曲を互いに何曲も歌い、締めくくりました。
昨夜も友人の存在をありがたく思う一晩でした。
目の前にあること、感じること、すべて自分自身の心の在り方が大きく影響していることを、思いださせてもらうものでした。
壁にぶつかったときに、いいわけや誰かのせいにしたり、やるべきことを怠ったり、逃げたり、心の動きはそちらにいきやすいものですね。
自分の今の心理状況を観て思うところです。
客観的にみてどうしてもおかしく見えることでも、心の働かせかたでそのことをよい方向へと導けるのではないか、そう受け止められるように、自然となりたいものです。
そう、あるには、心身に疲れをためないようにすることも大事なことですね。
ラインホールド・ニーバー牧師の祈りの言葉のように在りたいと思うところです。
「祈りの言葉」
神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
2009年02月18日
譲り合い響きあい

遊歩道にて・・
森の木々はお互いの枝を少しずつずらしながら、葉を広げ日差しを受けている。
自らの生命を保持するため。
保水し森というまとまりの為。
呼吸する動物の為。
譲りながら、それぞれの存在を認め合っている。
枝は、人にすれば主張であったり、投げかけであったりするよう。
大地にしっかり根を張り自らの生きる力をしっかりつけながら、
譲り合いと響き合い(愛)を持てたら、と思うところです。
なかなか難しいですが…。
2009年02月15日
耕す力。

今日も実にいい天気です。
今日はイチローも宮崎入りとか・・。
写真は県南部の酒谷棚田。
幾重、幾段にも連なる田んぼの姿は、雄大で、温かく、懐かしい郷愁を想える場所です。
昨年末に初めていきました。
これを作り維持してこられた過程のご苦労を想像するところでした。
先月に山里で米作りを営む親戚のおじから聞いた話し、農業は計画性と判断力がなけりゃできない、と。
その年の天候を読み、水のやり具合を毎年調整する。雨が多いと見込まれる年は、土がひび割れができるくらいまで枯らす、そうすることで、土が雨を存分に吸収していく。
この読みと判断が甘いと、水が溢れ稲が根腐れを起こしてしまう。
土を耕し、育てる過程は、人そのものの在り方とも同じだと思うところでした。
自ら求めていく姿勢。人との関係性。理解をしあうときに互いの心の状態で「水」がしみこむか、溢れるかあるでしょうし、満たされていて感じ得ないことでもあるでしょうし。
「土」を耕す話しにおもうところでした。
2009年02月11日
迷走の筆路に・・・・

こんばんは。
暖かい一日でした。
今日は、朝から南郷町に締め切り間近の県美展の作品を仕上げるために行って参りました。
ご指導を受けながら、普段の自分の取り組みの甘さをかみ締める一日でした。
行毎に大小、太細、潤滑の変化 横への広がりを持たせる等、今までも受けて来たことでした。
枚数を重ねるにつれ、2×8尺の紙面内を支配しきれない視野の狭さを思い知らされるばかりでした。
これは、第一に筆を持ち続ける研鑽の怠り、それから、普段の生き方そのものが現す結果なのだと痛感しました。
紙面全体への気配りは、人への気配りでもあります。
迷走する筆路は、修練を怠る雑然とした今の自分の姿そのものでした。
2009年02月09日
思いっきりよく放って

立春を過ぎだいぶ暖かさが感じられるようですが、今晩あたりは寒さがでてきました。
さて、子どもの教室では、礼儀的なことに加え、子ども一人一人の元気が表現できることも大事にしている一つです。
紙を前に筆を持つと、大人でも萎縮しがち。そこから、修練を重ね、技術と精神を磨くことになるのですが。
子供には、まず、元気いっぱいであって欲しいとねがうところです。
今日も野球をやっている子にはバットのスイングと球を投げる時のフォームを例えにだし、紙の上の空間も使った、腕全体の動きをオーバーに一緒にやったりしました。
大人でもなかなか自分をさらけ出すことは容易ではありません、せめて子供の時くらいは、と思うところです。
ホームランをイメージした小学2年の子供の作品にほっとした時間でした。
2009年02月04日
何を大事に…
今日(昨日)の子供の教室にて。
小学2年の児童が、来館して40分~50分経っても落ち着かない。
その間、大声をあげようか、近くにある雑巾を投げようか思案しました。
そして、他の子供の引き具合を見て「2人とも片付けて」と、
間をおかずに今度は強目の語気で。
2人とも微動だにせずそのままで正座して着席していました。
他の子がだいたい帰った頃に呼んで、ゆっくり話を。
2人とも率直に自らのことを振り返っていた様子でした。
2人に今日伝えたかったことは、技術や知識を上げる以上に与えられた時間、場所を大事にすること。
教室に入るときに靴を並べることや、挨拶、道具の扱いを大事にすること。
それらを意識するにはいつもより心を沈めることを大事に思う気持ちを持つこと。
これは、これから先も大事なことだよ、というようなことでした。
涙をながしながの子供は、昨日駅伝が1位だったと。
もう一人は、将来教師になりたいと。
2人だけでなく、子どもの持ち味が素直に存分に伸びるよう、
根っこの事を私自身大事にしていきたいと改めて思った夕方でした。
2009年02月02日
人間力
こんばんは。
はじめてのブログです。
生駒新一郎です。
最近、思考も働きにくくなっていて低迷気味。
まだ眠れません。
昨日の夕方にいろいろ思っていることを書き出していたんですが、その中で、人間のスペシャリストという言葉が出てきました。
そのあと、椿姫さんの番組をみて繋がりました。
彼女の生きる姿に勇気と元気をいただきました。
今日から、できることをひとつづつ大事にやっていきたいです。
お休みなさい。