2016年03月07日
危うさの中で、立ち返る
今のご時世下、容易に、ごまかしの日常に手を染めていく雰囲気が充満しています。
無意識のうちに、静かな言動が、ちょっとず集まって、時に悪となるような危うさがいたるところで。
数字、結果、形にだけに陥りやすい安易な思考展開は、人を虜にする。
危険。
時代や場所に関わらず、そういった激流に惑わされずに、自然と一体であるという原理原則に立ち返れるならば、流れに持ちこたえるのでしょうが。
おかしな感覚が、常識化することはおかしいと心で呟き、私は私がやれることをやるだけと諭されます。
福祉とは、広く生きる素地を耕す広い視点と慈悲の気持ちがベースにあることなんでしょうが。
三権分立の一翼を担う司法権も目先の利潤を追う体質が目につき、経済最最最優先病が充満していることを恐ろしくなります。
世間をそのように腑抜けにして、勝手な操縦を図る行政権の腹黒さには、とんでもない恐怖を覚えます。
しかし、国民1人の地点では、自らが呼吸を整え、できることに手を伸ばし、視点の転換することはできます。
微力でも無力ではない。
福祉の毒された現場で、自浄能力もなく集金に汗かく輩には、激しく怒ります。
しかし、その怒りを原動力に、私がやれること、目を向けることに身を置き動きたいと思います。
Posted by いこいこ at
14:25
│Comments(0)
2016年02月03日
♪きぬこさん
ふとカレンダーを見ると、あと3日、2月6日で絹子さんの生誕75年の記念日となる。
今年の8月24日は旅立たれて丸10年となる。
早いな-。もう、10年。
最初に出会ったのが18年前。
青葉町の長屋の土間を恐る恐る入っていくとニコニコと迎えて下さった絹子さん。
当時、どんこやの所長だった。
「私たちは何にも頑張ってないとよー」と。
私の愚問にサラリと答えて下さった。
出会って2年ほどして、絹子さんから「書を学びたい」「月謝を払って学びたい」と申し出があった。まだどんこやのスタッフではなかった私にそう、言われた。 この友井さんの声に共鳴して、サトミさんとヤスハルさんが時間を共にした。
絹子さんの個人教室の時間で印象にあるのは、私が、「友井さん、もう少しここをこのような感じで動かしたらいいと思います。」という一言に「はい」と言ってはものすごい集中力で一筆一筆を運ばれていた事。念を送り込むその姿は、なんの衒いもなく納得の行く作品にしようと、私の言葉をよりどころに一生懸命に紙に向かわれていた。その姿が強く瞼に焼き付いて離れない。
書き上げた後には「ありがとうごいました」と言われ、反対に私の方が最敬礼の気持ちに何度となくなった。
身体がきついと言って筆を持たれる時も、書き終えた時には「なんか不思議ね、書いていたらきもちよくなった」と。
あるときは、気持ちの落ち込み切った私を自宅に招いていただき、お酒と食事を出してくださり、とことんまで話しに付き合ってくださった。
私だけではなく、絹子さんを慕ってくる人をとにかく、飲ませ食わせをよくされていた。障がいの有無など関係なく。
しこたま叱られた時もあった。
その時は、言い返すこともできないくらいだった。
全身全霊で背中で、生き方を教えてくださった絹子さん。
境界線を行き来する役割を、と思う私に取って、とても偉大でお手本とする生き方だ。到底及びもしないが。
底の見えないでかい器で、いろんな人を惹きつけたひと。
どんこやの頃から離れない絹子さんの言葉の一つで
「アートはうまれたときから バリアフリー」
人と膝詰めで付き合い、擦れ、浮かび上がったストレートな言葉。
彼女がつけた「どんこや」って、とてつもなく大きな意味をなすものとつくづく思う。
だから、みずからがつけた「あわいや」にも思いを深めたい、共感したい。
自分の土壌をなすものは何か、誰に育まれ、誰と歩み、どこに行くのか。
岡富公園墓地に眠る絹子さんの生誕日を前に、自分の生き方の点検をしなくちゃ。
今年の8月24日は旅立たれて丸10年となる。
早いな-。もう、10年。
最初に出会ったのが18年前。
青葉町の長屋の土間を恐る恐る入っていくとニコニコと迎えて下さった絹子さん。
当時、どんこやの所長だった。
「私たちは何にも頑張ってないとよー」と。
私の愚問にサラリと答えて下さった。
出会って2年ほどして、絹子さんから「書を学びたい」「月謝を払って学びたい」と申し出があった。まだどんこやのスタッフではなかった私にそう、言われた。 この友井さんの声に共鳴して、サトミさんとヤスハルさんが時間を共にした。
絹子さんの個人教室の時間で印象にあるのは、私が、「友井さん、もう少しここをこのような感じで動かしたらいいと思います。」という一言に「はい」と言ってはものすごい集中力で一筆一筆を運ばれていた事。念を送り込むその姿は、なんの衒いもなく納得の行く作品にしようと、私の言葉をよりどころに一生懸命に紙に向かわれていた。その姿が強く瞼に焼き付いて離れない。
書き上げた後には「ありがとうごいました」と言われ、反対に私の方が最敬礼の気持ちに何度となくなった。
身体がきついと言って筆を持たれる時も、書き終えた時には「なんか不思議ね、書いていたらきもちよくなった」と。
あるときは、気持ちの落ち込み切った私を自宅に招いていただき、お酒と食事を出してくださり、とことんまで話しに付き合ってくださった。
私だけではなく、絹子さんを慕ってくる人をとにかく、飲ませ食わせをよくされていた。障がいの有無など関係なく。
しこたま叱られた時もあった。
その時は、言い返すこともできないくらいだった。
全身全霊で背中で、生き方を教えてくださった絹子さん。
境界線を行き来する役割を、と思う私に取って、とても偉大でお手本とする生き方だ。到底及びもしないが。
底の見えないでかい器で、いろんな人を惹きつけたひと。
どんこやの頃から離れない絹子さんの言葉の一つで
「アートはうまれたときから バリアフリー」
人と膝詰めで付き合い、擦れ、浮かび上がったストレートな言葉。
彼女がつけた「どんこや」って、とてつもなく大きな意味をなすものとつくづく思う。
だから、みずからがつけた「あわいや」にも思いを深めたい、共感したい。
自分の土壌をなすものは何か、誰に育まれ、誰と歩み、どこに行くのか。
岡富公園墓地に眠る絹子さんの生誕日を前に、自分の生き方の点検をしなくちゃ。
2016年01月17日
2016年01月16日
2016年01月11日
踊る!都城!! 初春☆夢を描こう、踊ろう。
♬ 踊る!都城!! 初春☆夢を描こう、踊ろう。
ダブル・sayー氏と、靖治さんと参加。
オープニングの靖治さんは、事前のデモでは動きの確認を。
慣親しんだモヒカン松下君も猿さんの体験の前に応援くださり、アウェーがホームのように。
肩関節、腰、腕肘をチームで気を払いすすむ筆、書き上げられた文字は
「飛ぶ」。会場の方より書かれた文字を言い当ててくださる返答あり、靖治さん満面の笑み。
その心はの問いに「今年は飛んだり跳ねたいしたいと思うので」と。
靖治さんの大書の後、あわいやでは、筆のリレー書き初めをおこなう。
題材は「アンパンマンマーチ」。
2枚に紙を分け、大人と子供が混ざり合い、約述べ40名近いかたが筆のバトンを行った。
「おもしろい」
「また書きたい」
「まだ書きたい」と
声があり、書く事の楽しさをいっしょに味わいさせていただいた。
野海さんの「飛ぶ」は1年間。
リレーのアンパンマンマーチは1月いっぱいMJの玄関入口に展示されるとのこと。
2016年01月10日
Year 2008 The painted works
title ”Mr.マサヤス” By Shinichiro
title ”Mr.ケンジ” By Shinichiro
title ”Mr.ヤスハル” By Shinichiro
2016年01月10日
2015年12月12日
「ぼくはうま」 ♬♪ ♪ 「イザイホウ」
ひむか村の宝箱
2015年12月12日
◆♫◆ 絵本「ぼくはうま」
♬♪ ♪ 映画「イザイホウ」
渡邊直加さんの悲しいお別れから、言葉からマイナスにもプラスにもなる力をまざまざと受けた経験から起きた不思議な繋がりのお話し、映画との出会い、今日の日の企画。
悲しみの淵でモノクロにしか映らなかった日常で微かに見えた光。
そこから、糸が一本一本紡がれて合わさっていくように出会いときっかけが。
光を求めていく中で、田村一花さんのフェルトの白馬に出会い「白馬」を主題にした絵本ができる。「ぼくはうま」
その最初のお披露目先にふと思いついたのが ’久高島’ 。
その地は神々の島。大多数の島民の女性が巫女。
その島の伝説で、馬が降り立った伝説があり、30を過ぎた女性が巫女になるための儀式が12年に一度行われていた。それが「イザイホウ」。
1978年を最後に島ではその儀式は途絶えている。
不思議な繋がりを思った渡邊さんは、この映画と絵本の朗読を通して、神々の島のことを伝えることを行っていると。
文明によって作られていた自分という存在。
まとぅっているものを一枚一枚降ろして、一つ一つを解いて行く先に、みんな同じ光の粒になる。それは、「神」とされる存在も。
自然と同化をして、いたるところに、私・ぼくの存在が点在する。
大きな大きな光の輪に包まれたようなとてもとても温かで、なんともいえない気持ちの良い時間だった。
Posted by いこいこ at
23:04
│Comments(0)
2015年11月30日
「第1回宮崎DREAM ART作品展」 ~ 閉幕 Closing ~
2015年11月30日 ·
♪゜・*:「第1回宮崎DREAM ART作品展」
~ 閉幕 Closing ~
宮崎県立美術館
昨日29日、無事終了いたしました。
どんこやの家族会が立ち上げられた「宮崎のドリームアートを応援する会 」が主催として、本企画の計画立案、準備等をされました。
共催に社会福祉法人ゆくり・アートステーションどんこや。
協力として、社会福祉法人まほろば福祉会・天領の杜、社会福祉法人風舎、社会福祉法人宮日母子福祉事業団の絵画教室、 あわいやで行われました。
私は、会期中5日間のうち4日間、受付を実行委員のお母さん方とご一緒しましたが、初めての事にも関わらず、お母さん方は実に誠実に真摯に向き合われていました。広報から接客と本当に一生懸命でした。
なんとか成功させたいとの思いの凄さをそばにいて強く感じました。
初めての出会い、久しぶりの出会い様々ありましたが、バラバラの魅力を発する作品が醸し出す空気が不思議な空間を作り、訪れた人、受付の人を和ませていました。
アンケートや受付ノートに記されているものを見ると、偶然訪れた方が、素直に感じ取られたコメントをいくつも目にします。
5団体が交じり合う企画は、決して平坦でなかった準備の道のりでしたが、個人的にもお客様の反応にとても癒されるような感覚になりました。
小さいこどもが背伸びをして紙で出来たハウスの中を見たがっていた様子は微笑ましくて仕方ありませんでした。
ある展示作品をご覧になられた方の中には、日常、障がいある方が気持ちいいと思える行為に寄り添える関係性を読み解かれ、感激される方もいらっしゃいました。
どんこや 宮日母子教室 風舎 天領の杜 あわいや・個人 がミックスをして滅多にない磁場を産む空間ができました。
上手い下手、売れる売れない、綺麗汚い等、色々付け加えられる感想など関係なく、作品それぞれが共鳴しあって呼吸の度合いが5日間で深まりました。まぎれもない事実として、お客様の反応が明らかにして下さりました。
会場に居て、そんな根っこのことを素直に見たいなーと個人的な感想では思いました。
初めての企画立案と準備、実行を怯まずに立ち向かわれたお母さん方の力に唯唯感服するばかりでした。
得たものから先、どうするか、どうなるか、団体と個人の考え歩みに跳ね返ってきます。
あわいやとして協力をさせていただきましたことに大変感謝をし、ありのままの表現行為の意味することを更に深く見つめ、余白を作り出し間をつなぐ活動を充実させていきたいと思います。
出品者53人
出品作品96点
ご来場者769名
アンケート101通でした。
500名で良く来て頂いたと思えるところ、他の作品展との相乗効果があったとは言え、700を越えたのは驚きでした。
関係した一人として、団体としてありがとうございました。
Posted by いこいこ at
23:55
│Comments(0)
2015年11月28日
『海の五線譜』観劇
メディキット県民文化センター - 宮崎県立芸術劇場
2015年11月28日
『海の五線譜』観劇(28日19時~)
劇団「青☆組」よる公演
作・演出 劇団主宰である吉田小夏さん
5年前に宮崎を訪れた吉田さんが感激をした、宮崎の風、香り、光、音。
宮崎を題材にした演劇。今日、その作品「海の五線譜」が誕生しました。
宮崎の方言、名所が小気味良く挿入されています。
日常の何気ない風景や、言葉、響き、漂うもの。
家族と自然、恋焦がれ、擦れあう人、人。
生きている証を刻む時の流れに胸を詰まらせることも。
観終わってからは、ドキドキとした空気と香りが肌から伝わり、軽い興奮状態に陥ったような感じでした。
切ない、儚い、甘酸っぱい、キラキラとした光と風を吸い込んだような、なんとも言えない感覚になり、水平線で溶ける星空と海の夜に出かけてみたくなりました。
宮崎公演は明日までです。
そのあとは、11月末から東京公演です。
2015年11月21日
「ただいま」門川公演
門川町総合文化会館
2015年11月21日 ·
劇団こふく劇場
「ただいま」門川公演
平和につながる日常の、考えること、話すこと、想うこと、起きること。
一つ一つの所作の間に溜めをつくり、時を噛み締める。
もっとスローに、何気ないことがスローに映るように。
体内が入浴するような、涙がこみ上げ、呼吸の間を感じる、あったかーい気持ち一杯になった。
2015年11月19日
奥田知志さんの講演
2015年11月19日 · 宮崎県 日向市 ·
涙 いついらいだろうかー
風舎主催の奥田知志さんの講演
「助けてといったときに 助かった」
ホームレスだった男性の講演を聞いてぼろぼろ涙を流した小学生と同じように、込み上げて来て。
ホームレス ハウスレス
生活困窮と社会的孤立を深める、社会。
キズをちょっとずつ分け合う仕組みが社会にはあった。
人と人が出会えばキズが生じる、それが社会の広がり。
一人ではできない。
何を食べたかではなく、誰と食べたか。
幼い頃に、共働きの両親と一緒に食べた食事の時を思いだし、涙があふれでた。
誰に育まれ歩んできて、誰と歩んでいくか
心の根の深いところに届くお話しだった
2015年07月27日
書道体感教室
東大宮地域まちづくり推進委員会
寺子屋事業
「書道体感教室」 村角公民館
9人の小学生と暑さを縫って、筆で繋がりました。
夏休みの課題の後に書体験。
何があるかよくのみ込めていない児童達はやや引きぎみ。
それでも、野海靖治さんが筆を持つ時には筆運びに気持ちを傾けて見ていた。
「生きる」
書き終えた野海靖治さんが、生きているだけで尊い、といメッセージを小学生達に伝えると、静かなうなずきが。
時間が押すなか、一本線のトップバッターが中々進まず、野海靖治さんが3回スタートの合図を出し、ようやく、2メートルを超す紙に子ども達の筆が走った。
軽やかな入り、リズムを刻む筆路、迷いなく突き抜けた終筆。9人のありのままの一本線ができあがった。
最後に、今日、初めてお手伝い下さった平嶋さんが、目隠しで ○ を書いて締めくくった。欲張らない、澄んだ線の丸に子ども達も微笑んだ。
2015年07月26日
先ずは、表す。聴く。歩み寄る。
会田誠の展示作品「檄文」、東京都現代美術館が改変要請 市民からクレーム
子どもにふさわしくないなどとする館側に対し、会田さん側からは現状のまま展示できない場合、撤去もありえるとの考えも示されたという。
(HUFFINGTONPOST.JPより)
正常に、主張する表現をまずは受け止めること、それが多様性の中で、右左極端なぶれに陥らない歯止めになるのではないか。
大多数に巻き込まれるままであれば、社会の自制心となる声も無惨に掻き消されてしまう。
非難や追放を無闇に行う前に、今の世の中に在り、感じ取る違いをまずは出し合って、傾聴し合って、じりじりと歩み寄って行くことで、間の道が見えてくるのではないかと思う。
この作品により得た投げ掛けもまた、大きい。
そう、私は思う。
2015年07月20日
今 感じ取ること・・・・。
8月30日まで、みやざきアートセンターで生頼範義(おおらいのりよし)展を開催しています。
類稀な才能と技術を駆使して変幻自在な表現が次々に並んでいます。
一つの原体験で、明石と川内の大空襲を経験したことから、人間の憎悪を忍ばせているものが幾作もあります。
その中で、日中戦争、ベトナム戦争、イラク人救出のドキュメント写真を元にした作品が、一際、作者の戦に形を変えたことに強烈なメッセージが込められています。
戦場に居る兵士は骨だけで描かれており、それは、大義名分も吹っ飛び、虚しく、戦う連鎖を続けるしかない道具と化した、人間を血も肉も無い状態で現しています。
また、中国、ベトナムの虐殺の写真を題材にしたものは、あたかも眠っているような、不本意に無残に絶たれた命ではあるが、その命の歴史を温かい瞳で見ているような描かれ方です。皮膚呼吸のする、地球に同化するかけがえない命として、時空を越えて作者がお一人お一人を供養されるような想いが伝わるものです。
正当化できない、暴挙を筆で心血のありったけ注ぎ込んで浮かび上がらせています。
今国会の動きを浮かべながらこの作品をみると様まざまなメッセージを受け取るようです。
2015年07月03日
生の表現
2015年6月17日~6月22日 にかけて
UMKギャラリーにて開催された書作品展です。
社会福祉法人まほろば福祉会 天領の杜の通所されている主に肢体不自由の方、13名、52点の作品を展示いたしました。
平成26年8月より月2回で生駒が関わらせて頂く中で、書かれた作品です。季節折々の言葉、今日は何の日から拾った言葉など、「今」を感じながら、書かれたものです。生駒がああしたらこうしたらはなく、表現の蛇口をそれぞれの感覚で開けられて筆を運ばれています。毎回、書の時間の終わりの時には、書き手の皆さん、施設職員さんを前に、一点一点の魅力をお伝えして終えています。
10年前まではバリバリ働かれていたかた、20年前までは座位は取れていた方。体幹保持が困難で握力も僅かの方など、13名の方々の身体状況は様々です。
今回、25年の法人の歴史でも初めての作品展で、生駒自身、携わらせて頂く上で意識をしたことは、「障がいもっている人が頑張った」作品展示にしないことです。望まずになった心身状況ながら、結果、それがあって表現される世界をありのままに。その方の呼吸がやどり、その方だから出来る空間、その方だから作り得る線の強弱動き。そういったことを意識に置きながら、お一人平成26年8月から27年4月まで書き溜めた60点~90点ある作品の中から選ばせて頂きました。
そして、その作品の台座となるパネルは全て手作りですが、職員の方には、決して角を気を緩めないで、とお伝えして、一緒に作りました。予算は掛けなくとも手作りでもきちんと作ることで、それに載る作品の動きが際立つと考えました。
今回の展示を通して、ご来場頂いた方からは、正に作品そのままを直で観ていただけた声が沢山寄せられました。
「アート的」
「絵画的」
「空間がなんとも言えない」
「息遣いが伝わる」
「書家として、普段自ら引く線の内省を促せるようだ」
「いくら観ても見飽きない」
等々、思いもよらないようなお声を沢山いただいた。
そして、
「別の場所でも是非やって」
「次回展が楽しみ」
とのお声まで在るほどでした。
「生の表現」、ありのままに受け止めていただけたこと、ご本人と施設の関係者にも大きな喜びと力となりました。
2015年05月27日
売れないものを・・・
平成10年10月
当時、宮崎市の認可作業所を目指していた、どんこやが開催した「トヨタ エイブル・アートフォーラム」
奈良のたんぽぽの家の理事長・播磨康夫さんがコーディネータで、パネラーに滋賀県のやまなみ工房施設長・山下勝也さん(当時) 日南の黒木房子さん、高岡の坂元金一さんが登壇されて行われた。
内容は、障害者アートを示す言葉として、造語、播磨さんが提唱された「エイブル・アート=可能性の芸術」をキワードに既存の価値観を揺さぶる障害者アートの価値を探るものであった。
私は、実行委員ボランティアとして参加をしていた。
当時の私は、どんこやを通して出会った、障がいある人の表現領域に驚きと感動、自らの気持ちの解放のきっかけを得た感覚があり、フォーラムで展開する話しの一つ一つがバンバンと響いて来たことを新鮮に覚えている。
行為そのものが貴い。
やり続けることからとんでもないものが生まれてくる。
生産性よりも、作ること。
売れないものをいかに作り続けるか。
華飾過ぎる表現とは異る速度、経路で育む表現行為が社会に伝えるメッセージがある。
このときのことがずいぶん、その後の下敷きになった。
最近、坂元金一さんとオハイエ!2の映画を通して、お話しをする機会があった。
坂元さんは30年以上、自閉的傾向の人と絵を描く時間を持たれている。
「いかに売れるかよりも、いかに画面に没頭して、色の選択、線の強弱の表現ができるか。」
「その過程を、いいなーと思って側にいれるか」
この10年、障がい在る方の表現現場に立つ時に抱き続けていた考えを、思い出させていただけた。
17年前の期待感と熱気にあふれたフォーラムのことも思い出した。
当時からすると、社会情勢もずいぶん変わったが、今、改めて必要な考え、視点であると思う。
音楽祭の映画からの導きも一つなのかもしれないなー。
Posted by いこいこ at
02:33
│Comments(0)
2015年05月24日
いちゃりばちょうでぇ (一度、会ったら兄弟)
昨夜(22日)の「オハイエ!2」宮崎市上映に実行員と参加し、その余韻がじわっと体内に広がりました。
本日、その余韻に押され、今回の宮崎上映の最後の西都市に滑り込みで駆け込みました。
昨日とはまた違う一体感を味わえる空間で、映画とあんべさんの歌声に触れました。
「こーんにちはーウフフ・・・ イエ-オホホ」 とてつもない脅威のバリア、一人ひとりに係るバリア、それを音の力、言葉の力が、ちょっとした勇気へと。
今回のこの「オハイエ!2」の上映会を通し、テーマソング「オハイエ」を作られたあんべさんのきめ細やかな心配り、行動に、驚きました。感激しました。
昨日の宮崎市上映では、車椅子のスタッフが弁当を食べる場所がないのではと察して、自ら、場所の確保に動かれたり、上映会中、学屋のゴミをまとめておられました。初対面の実行委員の名前を覚えられて、名前で呼ばれて。
また、今日の西都では、車椅子の男性を階段を抱えて降りて頂く動きの時、終わったばかりのステージ上からさっと駆けつけて一緒に手を貸し降りられました。
心底、人に寄り添う姿勢があるから、すーっと体内に入り込む、歌詞と曲が生まれ、勇気と元気を感じることができるんだろなー、と思ったところでした。
音楽祭の生みだす、一体感。
身体を通して、言葉をリズムを今ある気持ちを通し表出する。リズムが伝染。
「とべとべ とんだー」 39度の掛け流しの温泉に入ったような、ほっとする感覚が2日間を通して感じられ、魂の中心にビューっと突き刺さる問いが向けられたようでした。
Posted by いこいこ at
11:27
│Comments(0)
2015年05月20日
「オハイエ!2」<宮崎市上映会> のご案内
2001年から仙台で始まった「音楽でバリアを打ち壊せ! とっておきの音楽祭」。
障害のある人もない人も一緒に音楽を楽しみ、音楽のチカラで「心のバリアフリー」を目指すストリート音楽祭。合言葉は「みんなちがって みんないい」。
映画はその音楽祭を追ったドキュメンタリー映画です。2007年にパート1「オハイエ!」が映画化され、全国各地で自主上映のよなことで上映されていました。 今回の「オハイエ!2」はそのパート2です。
「とっておきの音楽祭」は2001年に仙台市で始まり、熊本市、鹿児島市、大阪枚方市、山形市、福島市、東松島市など全国十数か所でも、市民ボランティアの実行委員会主催で開催されているもののようです。
今回のパート2「オハイエ!2」は震災後の瓦礫の中から実施した仙台の音楽祭のドキュメンタリーです。
3.11が丁度、エントリー締切日でした。もともと、このパート2を撮る予定のところで、新たなバリア「震災」が発生。安否確認のメールの表示から映画は始まります。
あの日から86日目。住宅が流された方、家族・友人が津波にのみ込まれたかた。余震も続く中、開催について議論をするなか、こんな時だからこそ「とっておきの音楽祭を」との声が高まり開催にこぎつけました・・・・。
あらゆる身体状況の方々が、容赦のない自然の力を前に、希望を傾け音楽を奏でて行きます。
文や言葉では言い尽せません。音楽により、見事に力を受け、みるみる元気を表に出していかれる様子は、言葉がありません。
一人でも多くの方々に是非、ご覧いただきたくご案内をいたします。
音楽祭の音楽プロデューサーの石巻市出身、あんべ光俊さんより、友人の坂元金一(高岡町)に上映の打診があり今回の上映会開催の運びとなりました。
今回は宮崎市の外に日向市、西都市でも上映会を開催いたします。
オハイエとは、「オハヨー」+「イエー!」を合わせた仙台で生まれた元気のでる造語です。
『オハイエ!2』 ―宮崎市上映会―
■日時:平成27年5月22日(金)
18:00 開場
18:30 開演
あんべ光俊ミニライブ(20分)
19:00ごろ
「オハイエ2」 上映 115分
21:00ごろ
テーマソング「オハイエ」を皆で合唱
21:10ごろ
終演
■会場:宮崎市民プラザ(オルブライトホール)
宮崎市橘通西1-1-2
■チケット:
・大人 1,500円(当日1,700円) ※介助の方は無料です。
・学生 1,000円(高校生以上) ※中学生以下は無料です。
■主催:宮崎市肢体不自由児・者父母の会(山元)
■共催:宮崎県ボランティア協会(生駒)
宮崎『オハイエ!2』上映実行委員会(坂元)
■お問い合わせ先 :
・090-1976-8450 (坂元金一)
◎チケットに関しましては、上記の主催・共催各団体で扱っておりますが、このページをご覧頂いた皆様はここでお問い合わせください。生駒よりお返事をいたします。
※日向・西都上映について
・5月21日(木)日向市
・5月23日(土)西都市
両市の上映に関しては、宮崎『オハイエ!2』上映実行委員会 (坂元 090-1976-8450)にお問い合わせいただくか、こちらのページに書き込みくださればお返事いたします。いずれも あんべ光俊さんのミニコンサートがあります。
お一人でも多くの方にご覧いただけますことを願います。
今回の映画「オハイエ!2」の紹介ページ https://www.youtube.com/watch?v=jhBD-ZdmvnM
2015年05月20日
ふれあい食育会
ーみんなおいでよ夢はうすーにて
5月16日(土)の18時から、東大宮地域まちづくり推進委員会・福祉部会の事業の一つ「ふれあい食育会」の今年度第一回を開催いたしました。
今回は、参加者(有障の方等)7名、スタッフ6名、手話通訳1名の14名で行いました。
待ち望まれたよなお声もあり、和やかに会食をする中、漢字当てゲーム、尻取りゲーム、ミニ手話講座、笑いが多く和やかな雰囲気の時間でした。
90を越えられたIさんは、毎日1時間3キロほどを歩かれることには驚きでした。Iさんに限らず80代の方、70代の方もお元気で、前にならった手話を交えて難聴の方とコミュニケーションを取られるなど、自然と会話が弾み橋も進み、笑い声も絶えない一時でした。
Posted by いこいこ at
01:13
│Comments(0)